COVID-19 の規範~「パンデミックの倫理学」に学ぶ
・期待効用理論は、モダンポートフォリオ理論の基礎となってきた。これに対して、行動ファイナンスはいくつもの異なる原理を見出している。つまり、人はシンプルなモデルでは必ずしも説明しきれない。
・個人の意思決定は多様である。では、集団の意思決定、社会的意思決定はどうだろうか。もっと複雑である。サイエンスとしては、再現可能なモデル化を行いたい。一方で、現実を実証しようとするとモデルで説明できないことも多々ある。
・単なる記述では十分なモデルにならない。記述モデルではない、規範モデル(normative model)を求めて、社会科学は発展してきた。シンプルな行動原則を公理として、理論体系を作り、それをベースに現実をモデル化していくという試みである。
・新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の場合はどうだろうか。広瀬巌教授(マギル大学)の著書「パンデミックの倫理学」は、コロナ禍の人々の行動原理と社会の意思決定について、重大な示唆を与えてくれる。この著書から投資家として学ぶべき点をいくつか取り上げてみたい。
・SDGsの中で、公正は17項目の1つにあげられている。倫理学では、善、正、徳などの規範概念が、人々の言語、感情、信念、欲望などとどう関係しているか、を哲学的に分析する。公正、公平とも偏りがなく平等に扱うことを意味するが、公正はごまかしがないという正しさを重視する。
・あるべき行動原理である規範には、①功利(結果の総和をみて正、不正を判断)、②義務(結果の善悪ではなく、行為の意思や義務感に立つ)、③徳(人として素晴らしい行為を正とする)の3つがあるが、コロナパンデミック(世界的流行)に対してはどう考えるのか。
・広瀬教授は、「反証が提示されない限り、より多くの人の命を救うことは正しい行為である」という倫理的命題を第一義とする。但し、ここには、状況によっては正しくないこともありうる点を含んでいる。例えば、すべての人々を救えない時、誰も救わないということが倫理的にありうるという。
・感染症パンデミックの倫理においては、2つのことが制約となる。1つは、医療資源の「選択的分配」である。
・医療サービスの需要が供給を上回る時に、誰を優先するのか。配分を市場原理に任すことはできない。選択的に分配する判断の根拠とルールはどうすべきか。治療薬、ICU(集中治療室)、専用ベッド、PCR検査、ワクチン、予算などをどうするのか。トリアージ(triage)、つまり、患者の緊急性を判断する手続きをきちんと決めておくことが求められる。
・もう一つは、感染抑制のために、人々の権利や自由をどこまで制限するのか。人の隔離、施設の接収、営業規制、入国拒否などを、法的に、現実的にいかに制限するか。
・この2つの理由から、COVID-19の倫理的指針は必須であるが、パンデミックの状況にもよるので、厳密に定めることは難しいし、適切でもない。冷静で公平な判断がなされるようなガイダンスであるべし、と広瀬教授は述べる。
・現代哲学の分析方法は、「思考実験」にある。著書の中で、「救命数最大化の原則」が、公平性と透明性を踏まえて、十分なものかどうかを論証している。
・医療崩壊が起きた時、誰をどう優先するのか。死亡者を最少にすることが、目的として正しいのか。生存年数を最大化せよ、という原則もありうるが、そうすると救命のあり方が変わってくる。
・ここで、公平性をどう考えるか。フェアプレイだけでは、はっきりしない。それぞれの理由を考慮して、妥当な善を得ることが公平である、ともいえるが、なお抽象的かもしれない。
・同じように扱うことが公平としても、それを合計すると、善が最大になるわけではない。人々にとっての公平と、社会全体の善とは別問題という点も重要である。
・救命数最大化を図るならば、年齢差と症状をどう考えるのか。助かりそうな人を優先すればよいのか。生存年数最大化を図るならば、高齢者は後回しでよいのか。
・逆に、ワクチンの場合は予防なので、高齢者などの高リスクグループを優先することは、公平性において正当化される。
・公平性の問題は、複数の個人間で発生する。公平な行為や判断だけでは不十分で、公平とみられる透明性が同時に必要である、と広瀬教授は強調する。
・人工呼吸器やICUの病床の扱いについては、生存年数最大化が公平性から正当化されようが、高齢者の厚生軽視は倫理上許されない、と社会からは見られる。
・人工呼吸器の優先順位を決定する手続き(トリアージ)において、先着順と緊急性はどう取り扱うのか。そのために、救命数最大化を目的とするトリアージ基準を用意していく必要がある。
・他の重症者を救うために、呼吸器を取り外して、助かりそうな人への再配分は行いうるのか。確かに難しい。倫理的に正しいとしても、社会や文化の受け止め方にも考慮する必要がある。
・ワクチン接種は、誰を優先するのか。そもそも、ワクチンは十分手に入るのか。医療従事者優先、高齢者優先、基礎疾患優先は妥当であろう。
・この先はどうか。誰がエッセンシャルワーカーなのか。この線引きやカテゴリーは議論となる。どの仕事もそれなりにエッセンシャル(なくてはならない大事なもの)である。あるいは、ウイルスをまき散らすスーパー・スプレッダーをどこまで優先すべきなのか。
・治療としての抗ウイルス薬では、誰を優先するのか。抗ウイルス薬が開発できたとして、そのキャパ(供給能力)には限界がある時、どの国、どの人々を優先しつつ、キャパを高めていくのか。治療のみか、予防にも用いるのか。重症化を防ぐには濃厚接触者にも予防的に使った方がよい場合、どうするのか。
・人々の基本的権利と自由は、いかに制限しうるのか。例えば、飲食店の営業をどのように制限するのか。広瀬教授は5つの基準をあげている。
・①公衆衛生上必要性である、②手段が合理的で効果的である、③制限が効果と釣り合っている、④負担の分配が公平で正義にかなっている、⑤制限が信頼でき、透明性が確保できている、ことである。現実には、どうやっても不満は残りかねない。
・コロナは現在第3の局面にある。1)突然の発生への対応、2)状況は把握しつつも十分対応できない状況を経て、3)今はワクチン投与がスタートする中で、もうしばらく我慢して行動する局面にある。第4の局面は、ワクチンが行き渡って、集団的免疫が確保できるようになることである。来年には、それを期待したい。
・COVID-19パンデミック禍において、社会の倫理的価値と経済的価値にどう折り合いをつけるのか、そのバランスが問われている。投資における規範モデル(normative model)の再考も始まっている。何があるべき投資か。あるべき論の思考実験を重ねつつ、実践的なパフォーマンスについても検証していきたい。