為替レートの「適正水準」とは -客員エコノミスト 塚崎公義教授-
(要旨)
・為替レートの「適正水準」を探る手法は二通りある。各国の物価水準の比較と、過去との競争力の変化率を測る手法(実質実効為替レート)である。
・もっとも、物価水準の比較は為替の予想には使えない。実質実効為替レートも、為替の予想に用いるには問題が多い
・為替レートの「適正水準」を探る手法は二通りある。各国の物価水準の比較と、過去との競争力の変化率を測る手法(実質実効為替レート)である。
・もっとも、物価水準の比較は為替の予想には使えない。実質実効為替レートも、為替の予想に用いるには問題が多い
(おまけの要旨)
・為替には「リスクを採る人が減ると円高」のメカニズムあり
・高金利通貨は、期待リターンに見合ったリスクあり
・為替には「リスクを採る人が減ると円高」のメカニズムあり
・高金利通貨は、期待リターンに見合ったリスクあり
(本文)
・「適正な為替レート」は、理論的には算出可能
「適正な株価」を探る試みとしては、PER、PBRなどが重視されている。株価は様々な要因で変動するが、長期的に見れば「適正な水準」に戻る力が働くと考えられており、PERやPBRから見て割安な時に株を買って持っていれば、長期投資は結構な確率で報われると考えられているのである。
為替レートにも同様の指標があれば便利であるため、様々な努力がなされて来た。有力なのは、各国の物価水準を直接比べる方法と、各国の物価上昇率を考慮して過去からの為替レートの動きを解釈する方法である。
・「適正な為替レート」は、理論的には算出可能
「適正な株価」を探る試みとしては、PER、PBRなどが重視されている。株価は様々な要因で変動するが、長期的に見れば「適正な水準」に戻る力が働くと考えられており、PERやPBRから見て割安な時に株を買って持っていれば、長期投資は結構な確率で報われると考えられているのである。
為替レートにも同様の指標があれば便利であるため、様々な努力がなされて来た。有力なのは、各国の物価水準を直接比べる方法と、各国の物価上昇率を考慮して過去からの為替レートの動きを解釈する方法である。
・各国の物価水準が等しくなるレートが正しいとの試算
第一の方法の一例は、「ビックマック指数」である。これは、「世界中のビックマックは品質が等しいので、世界中のビックマックの値段が等しくなるような為替レートが適正である」、という考え方で逆算された値である。これは、解りやすいために話題性はあるが、実際にはビックマック以外のものも比較する必要があるので、国連などが「各国の物価水準が等しくなるような為替レート」を発表している。具体的な利用例としては、「中国は米国より物価が安いので、これを勘案すると中国の方が米国より実力でみたGDPは大きい」といった議論に用いるわけである。
もっとも、これは「理論的に正しい為替レート」ではあり得るかもしれないが、「将来的にはこの為替レートが実現する」と考えることは出来ない。非貿易財の価格が各国で等しくなるメカニズムは働かないからである。実際、途上国では生活費が先進国より安いが、それが是正される気配は無い。途上国の理髪店が日本より安いからと言って、飛行機に乗って途上国まで髪を切りにいく人がいるとは思われないからである。
第一の方法の一例は、「ビックマック指数」である。これは、「世界中のビックマックは品質が等しいので、世界中のビックマックの値段が等しくなるような為替レートが適正である」、という考え方で逆算された値である。これは、解りやすいために話題性はあるが、実際にはビックマック以外のものも比較する必要があるので、国連などが「各国の物価水準が等しくなるような為替レート」を発表している。具体的な利用例としては、「中国は米国より物価が安いので、これを勘案すると中国の方が米国より実力でみたGDPは大きい」といった議論に用いるわけである。
もっとも、これは「理論的に正しい為替レート」ではあり得るかもしれないが、「将来的にはこの為替レートが実現する」と考えることは出来ない。非貿易財の価格が各国で等しくなるメカニズムは働かないからである。実際、途上国では生活費が先進国より安いが、それが是正される気配は無い。途上国の理髪店が日本より安いからと言って、飛行機に乗って途上国まで髪を切りにいく人がいるとは思われないからである。
・ 物価上昇率格差だけ為替が変動すべきとの試算
ある時点を基準として、日本の物価は不変で、米国の物価が2倍になったとする。ドルの為替レートが変化しなければ、日本製品が米国製品の半値で買えることになるので、日本の輸出が増え、貿易収支の黒字が増えることになる。しかし、同時にドルの為替レートが半分になれば、両国の貿易収支は変化しない、と考えることが出来る。このように、為替レートが物価上昇率格差分だけ変動するのが「正しい変化」だと考えて試算を行なった結果が「実質実効為替レート」と呼ばれるものである。
これは、為替レートという紛らわしい名称であるが、実質的には「輸出困難度指数」とでも呼ぶべきものである。具体的な計算方法は、以下の通りである。
ある基準時点の実質実効為替レートを100とする。円高になれば、その分だけ指数を上げる。日本の物価が上昇すれば、日本の輸出が困難になるので、指数を上げる。米国の物価が上昇すれば、日本の輸出が容易になるので、指数を下げる。これと同じことを、米国以外の貿易相手国との間でも計算し、貿易ウエイトによって加重平均すると、実質実効為替レートが求まるのである。
こうして求まった実質実効為替レートは、実際には一定で推移するのではなく、変動するが、長期的に見れば「ある水準を中心として上下に振れる」はずである。したがって、「実質実効為替レートが過去の平均値よりも大きければ円高が行き過ぎており、いつかは円安になる」と考える事ができ、反対に過去の平均値よりも小さければ円安が行き過ぎており、いつかは円高になる、と考えてよい。このあたりは、株価の買われ過ぎ、売られ過ぎをPERやPBRから判断するのと同様である。
ある時点を基準として、日本の物価は不変で、米国の物価が2倍になったとする。ドルの為替レートが変化しなければ、日本製品が米国製品の半値で買えることになるので、日本の輸出が増え、貿易収支の黒字が増えることになる。しかし、同時にドルの為替レートが半分になれば、両国の貿易収支は変化しない、と考えることが出来る。このように、為替レートが物価上昇率格差分だけ変動するのが「正しい変化」だと考えて試算を行なった結果が「実質実効為替レート」と呼ばれるものである。
これは、為替レートという紛らわしい名称であるが、実質的には「輸出困難度指数」とでも呼ぶべきものである。具体的な計算方法は、以下の通りである。
ある基準時点の実質実効為替レートを100とする。円高になれば、その分だけ指数を上げる。日本の物価が上昇すれば、日本の輸出が困難になるので、指数を上げる。米国の物価が上昇すれば、日本の輸出が容易になるので、指数を下げる。これと同じことを、米国以外の貿易相手国との間でも計算し、貿易ウエイトによって加重平均すると、実質実効為替レートが求まるのである。
こうして求まった実質実効為替レートは、実際には一定で推移するのではなく、変動するが、長期的に見れば「ある水準を中心として上下に振れる」はずである。したがって、「実質実効為替レートが過去の平均値よりも大きければ円高が行き過ぎており、いつかは円安になる」と考える事ができ、反対に過去の平均値よりも小さければ円安が行き過ぎており、いつかは円高になる、と考えてよい。このあたりは、株価の買われ過ぎ、売られ過ぎをPERやPBRから判断するのと同様である。
・ 実質実効為替レートには限界あり
PERやPBRを頼りに株式投資を行なう事には限界がある。たとえば、買われ過ぎでも更に買われる可能性がある事である。あくまでも、「いつかは戻るだろう」という気長な姿勢が重要である。実質実効為替レートを頼りに為替取引をする場合も同様である。為替レートは貿易収支だけで決まるものではないので、他の要因による実質実効為替レートの乖離が長引く可能性は決して小さくないからである。
実質実効為替レートの問題は、今少し深刻である。物価の変化は織り込んでいても、それ以外の構造的な変化を織り込む事が難しいからである。たとえば途上国の急速な技術進歩によって途上国製品が大量に輸入されるようになり、その結果貿易収支が悪化して円安になるかもしれない。それは実質実効為替レートでは読めない動きである。また、日本企業が積極的に海外に工場を移転すれば、貿易収支は赤字になり、円安になるかもしれない。「少子高齢化により日本市場は縮小していくので、海外に販路を求めよう。そのためには海外生産が必要だ」「今後の日本は少子高齢化で労働力不足が深刻化していくだろう。労働力の豊富な途上国に工場を移そう」といった会社が増えてくることも、実質実効為替レートでは読めないのである。
実際、1ドル120円レベルでは実質実効為替レートから考えて「実質的には過去の円安局面よりも更に輸出が容易」であるにもかかわらず、輸出数量は伸びておらず、貿易収支も赤字のままである(原油価格暴落で赤字が縮小したが、これは為替レートとは別の話である)。
筆者としては、実質実効為替レートは「適正なレート」を誤って「円が安過ぎる」と判定する傾向があると考えている。上記のように途上国の技術進歩、日本の少子高齢化の影響が大きいからである。このことを逆から見れば、実質実効為替レートが少しずつ減少していくのが為替レートとして「正しい水準」だ、ということになる。
現在の実質実効為替レートは過去の水準と比べてかなり小さい(円安の行き過ぎを示唆している)が、そのうちどの程度までが「少子高齢化等の影響」なのかを見極める事が重要であろう。
円高論者は、今回の円高を「行き過ぎた円安が適正水準に戻りつつある」と理解しているようであるが、やや危険な考え方だと思われる。実質実効為替レートを金科玉条のように考える事は危険であろう。あくまでも、一つの参考指標として見ておいた方がよさそうだ。
PERやPBRを頼りに株式投資を行なう事には限界がある。たとえば、買われ過ぎでも更に買われる可能性がある事である。あくまでも、「いつかは戻るだろう」という気長な姿勢が重要である。実質実効為替レートを頼りに為替取引をする場合も同様である。為替レートは貿易収支だけで決まるものではないので、他の要因による実質実効為替レートの乖離が長引く可能性は決して小さくないからである。
実質実効為替レートの問題は、今少し深刻である。物価の変化は織り込んでいても、それ以外の構造的な変化を織り込む事が難しいからである。たとえば途上国の急速な技術進歩によって途上国製品が大量に輸入されるようになり、その結果貿易収支が悪化して円安になるかもしれない。それは実質実効為替レートでは読めない動きである。また、日本企業が積極的に海外に工場を移転すれば、貿易収支は赤字になり、円安になるかもしれない。「少子高齢化により日本市場は縮小していくので、海外に販路を求めよう。そのためには海外生産が必要だ」「今後の日本は少子高齢化で労働力不足が深刻化していくだろう。労働力の豊富な途上国に工場を移そう」といった会社が増えてくることも、実質実効為替レートでは読めないのである。
実際、1ドル120円レベルでは実質実効為替レートから考えて「実質的には過去の円安局面よりも更に輸出が容易」であるにもかかわらず、輸出数量は伸びておらず、貿易収支も赤字のままである(原油価格暴落で赤字が縮小したが、これは為替レートとは別の話である)。
筆者としては、実質実効為替レートは「適正なレート」を誤って「円が安過ぎる」と判定する傾向があると考えている。上記のように途上国の技術進歩、日本の少子高齢化の影響が大きいからである。このことを逆から見れば、実質実効為替レートが少しずつ減少していくのが為替レートとして「正しい水準」だ、ということになる。
現在の実質実効為替レートは過去の水準と比べてかなり小さい(円安の行き過ぎを示唆している)が、そのうちどの程度までが「少子高齢化等の影響」なのかを見極める事が重要であろう。
円高論者は、今回の円高を「行き過ぎた円安が適正水準に戻りつつある」と理解しているようであるが、やや危険な考え方だと思われる。実質実効為替レートを金科玉条のように考える事は危険であろう。あくまでも、一つの参考指標として見ておいた方がよさそうだ。
(おまけ1)
・為替には「リスクを採る人が減ると円高」のメカニズムあり
・為替には「リスクを採る人が減ると円高」のメカニズムあり
円相場は、株価と連動しているように見える事が多い。「市場参加者がリスクを採りたくないと思った時(リスクオフ)には安全資産の円が買われる」という説明がなされる事が多いが、説得力が今ひとつである。ドルやユーロと比べて円が安全だ、と考える理由が説明されていないからである。ついては、筆者なりの独断を御披露したい。
日本は、対外純資産が巨額の黒字である。つまり、日本人が巨額のドルを持っているという事である。これは、日本の誰かが為替リスクを負っているという事を意味している。市場が「リスクオン」の時は、多くの日本人が「円をドルに換えて米国株を買おう」と考えるので、ドル高になるが、市場が「リスクオフ」になると「米国株を売ってドルを円に換えて銀行預金でもして静かにしていよう」という投資家が増えるので、ドル安円高になるのである。
中には米国人が邦銀から円を借りてそれをドルに換えて米国株を買っている、というケースもあろうが、同じことである。リスクオンの時にはそうした投資家が増えるが、市場がリスクオフの時にはそうした投資家が減るからである。
このメカニズムの恐ろしい所は、極端なリスクオフが進んで誰もリスクを採らなくなると際限なく円高が続く可能性がある、という事である。そんな事態に陥らないことを祈るばかりである。
日本は、対外純資産が巨額の黒字である。つまり、日本人が巨額のドルを持っているという事である。これは、日本の誰かが為替リスクを負っているという事を意味している。市場が「リスクオン」の時は、多くの日本人が「円をドルに換えて米国株を買おう」と考えるので、ドル高になるが、市場が「リスクオフ」になると「米国株を売ってドルを円に換えて銀行預金でもして静かにしていよう」という投資家が増えるので、ドル安円高になるのである。
中には米国人が邦銀から円を借りてそれをドルに換えて米国株を買っている、というケースもあろうが、同じことである。リスクオンの時にはそうした投資家が増えるが、市場がリスクオフの時にはそうした投資家が減るからである。
このメカニズムの恐ろしい所は、極端なリスクオフが進んで誰もリスクを採らなくなると際限なく円高が続く可能性がある、という事である。そんな事態に陥らないことを祈るばかりである。
(おまけ2)
・高金利通貨は、期待リターンに見合ったリスクあり
・高金利通貨は、期待リターンに見合ったリスクあり
高金利通貨は、文字通り金利が高いので、為替レートが変動しないとすれば、リターンが大きい事は疑いない。しかも、高金利通貨は金利差を目指した資金が流入して通貨高になる場合も多いので、インカムゲイン(金利収入)とキャピタルゲイン(為替差益)が両方狙える可能性も結構高い。
日本人は、高金利通貨が好きな人が多いので、読者の中にも高金利通貨を持っている方がいらっしゃるかもしれない。それはそれで一つの投資判断であろう。
しかし、「リターンにはリスクが伴う」ことは充分に認識すべきである。それは、なぜ高金利通貨が高金利なのかを考えれば明らかである。
高金利通貨は、何らかの理由によって、プロたちが投資や融資をしないから高金利なのである。たとえばある国の政府が借金をしようと思った時、国際金融界のプロたちが喜んで融資してくれるなら、その政府は高金利の国債を発行する必要がない。そうでないから高金利の国債を発行して世界中から資金を集めて来る必要があるのである。
筆者は各高金利通貨国について詳しくないが、可能性としては「インフレ率が高いから金利が高い」「インフレ率は低いが経常収支が赤字だから金利が高い」「政情不安定だから金利が高い」といった所であろう。
インフレ率が高ければ、その通貨の価値が毎年下がっているわけであるから、いつかは対ドルレートも価値に応じた水準まで低下するであろう。
経常収支が赤字の国は、海外から借金をする必要があり、その残高が毎年膨らんで行くから、いつかは借金が返せなくなる可能性がある。その可能性を外国人たちが意識した時に、一斉に返済を求めると実際に返済不能に陥る可能性があるので、そのリスクを織り込んで高金利なのであろう。政情不安な国も同様に、融資が返済されない可能性を織り込んで高金利なのであろう。
個人投資家としては、個々の高金利通貨国に関する詳しい情報を持つ必要は無い。とにかく「プロたちが融資に消極的だから、高い金利の国債を発行せざるを得ない」という高金利通貨国の事情を認識していれば充分である。
そうしてリスクを認識した上で、ポートフォリオの一部に高金利通貨を組み込む事は一つの投資判断であろうが、リスクを認識せずに高金利に釣られて多額の投資をする事は避けるべきであろう。
以上。
日本人は、高金利通貨が好きな人が多いので、読者の中にも高金利通貨を持っている方がいらっしゃるかもしれない。それはそれで一つの投資判断であろう。
しかし、「リターンにはリスクが伴う」ことは充分に認識すべきである。それは、なぜ高金利通貨が高金利なのかを考えれば明らかである。
高金利通貨は、何らかの理由によって、プロたちが投資や融資をしないから高金利なのである。たとえばある国の政府が借金をしようと思った時、国際金融界のプロたちが喜んで融資してくれるなら、その政府は高金利の国債を発行する必要がない。そうでないから高金利の国債を発行して世界中から資金を集めて来る必要があるのである。
筆者は各高金利通貨国について詳しくないが、可能性としては「インフレ率が高いから金利が高い」「インフレ率は低いが経常収支が赤字だから金利が高い」「政情不安定だから金利が高い」といった所であろう。
インフレ率が高ければ、その通貨の価値が毎年下がっているわけであるから、いつかは対ドルレートも価値に応じた水準まで低下するであろう。
経常収支が赤字の国は、海外から借金をする必要があり、その残高が毎年膨らんで行くから、いつかは借金が返せなくなる可能性がある。その可能性を外国人たちが意識した時に、一斉に返済を求めると実際に返済不能に陥る可能性があるので、そのリスクを織り込んで高金利なのであろう。政情不安な国も同様に、融資が返済されない可能性を織り込んで高金利なのであろう。
個人投資家としては、個々の高金利通貨国に関する詳しい情報を持つ必要は無い。とにかく「プロたちが融資に消極的だから、高い金利の国債を発行せざるを得ない」という高金利通貨国の事情を認識していれば充分である。
そうしてリスクを認識した上で、ポートフォリオの一部に高金利通貨を組み込む事は一つの投資判断であろうが、リスクを認識せずに高金利に釣られて多額の投資をする事は避けるべきであろう。
以上。
TIWマガジン「投資の眼」 株式会社ティー・アイ・ダヴリュ
独立系証券リサーチ会社TIWのアナリスト陣が、株式市場における時事・トピックスや業界動向など、取材に基づいたファンダメンタル調査・分析を提供するともに、幅広い視野で捉えた新鮮な情報をお届けします。