国際収支統計から為替レートを考える
(要旨)
・購買力平価から今の為替は円安すぎる
・貿易サービス収支の黒字は減っている
・今後は、労働力不足が円高阻害要因に
・購買力平価で為替を予測するのは危険
・経常収支が黒字でも円高になりにくい
・老後の資産をドルで持つのも選択肢に
(本文)
・購買力平価から今の為替は円安すぎる
最近の為替(円/米ドルの為替レート、以下同様)は、110円近辺で推移している。これは、バブル崩壊後の1993年当時と同水準である。そして、その後30年近くにわたり、ドルは上がったり下がったりしながらも、明確なトレンドを持たずにいる。
その間、米国製品はマイルドなインフレで値上がりし、日本製品はデフレで値下がりし、為替が動いていないという事は、日本の輸出が有利になっている筈である。つまり、物価上昇率格差から適正な為替水準を探ろうとするならば、今の為替は円安すぎることになる。
各国の物価水準から直接「適切な為替の水準」を探ろうとする試みもある。たとえばOECDによると、2014年時点のPPP(各国の物価を等しくする為替としての購買力平価)は103円との事であるから、それと比べても円安である。
為替は短期的には上下に振れても長期で見れば「適正レート」に近づく力が働くはずだ、と言われているのに、全く働いているように見えないのである。
・貿易サービス収支の黒字は減っている
この間、貿易サービス収支の黒字は大幅に減っている。実質的に円安になっているのであるから、貿易収支もサービス収支も黒字が増えるはずなのに、そうなっていないのである。
対米に関しては、貿易摩擦を避けるために日本からの輸出を現地生産に振り替える動きがあったのであろう。あるいは、アジア諸国の技術力が向上したため、アジア諸国に工場を移転して、そこから対米輸出をする事が可能になったのかも知れない。日本から心臓部の部品だけを輸出して、残りの部品は現地で作ることにすれば、日本の輸出は大幅に減ることとなろう。
対アジアに関しては、技術力の向上等を反映して、製品輸入が大幅に増加した事が重要であろう。プラザ合意以降の円高局面で日本企業が工場をアジア諸国に建てたことが、アジア諸国の技術力の向上につながり、それが一層多くの日本企業の工場建設につながった、という事も言えそうだ。
最近では、消費地で作るという「地産地消」の動きも見逃せない。輸送費が安い、というだけではなさそうだ。現地のニーズに合ったものを作る、という事もあろう。
加えて、「円高になっても収益が悪化しないように、企業単位でのドルの収支をゼロに近づける」という事を目指す企業もあるようだ。筆者から見ると、「そろそろ円高恐怖症から立ち直っては如何?」と思うのだが、アベノミクス以前の円高の恐怖は、6年経っても抜けないらしい。まさに「デフレマインド」である。
・今後は、労働力不足が円高阻害要因に
長期的に見ると、少子高齢化で労働力不足が進んでいる。景気変動に隠れて見えにくいが、大きな流れとしては間違いなく労働力不足の方向に向かっているのである。
総人口があまり減らない一方で、現役世代の人数が減るので、少数の現役世代が作った少ない物(財およびサービス、以下同様)を大勢で使うようになり、物が足りなくなり、それを作る労働力が足りなくなるのである。
今ひとつ、若者が自動車を買っても全自動のロボットが作るので労働力不足にならないが、高齢者が医療や介護を頼むと労働力不足になる、という事もある。同額の個人消費であっても高齢者の消費は労働集約的なので労働力不足を招きやすいのである。
今後も少子高齢化による労働力不足は続くであろうから、輸出企業は工場労働者が確保できず、海外での生産に軸足を移さざるを得ないかも知れない。そうなれば、多少為替が円安でも輸出は増えず、むしろ減って行く事になろう。
・購買力平価で為替を予測するのは危険
そもそも為替が長期的には購買力平価等で計算される「正しいレート」に近づく力が働くはずだ、というのは、正しいレートより円安だと輸出が増えて、ドル売り圧力が高まるからである。
しかし、正しいレートよりも円安である事が輸出の増加(正確には貿易サービス収支の黒字拡大)につながらないのであれば、正しいレートを実現させる力がそもそも働いていない、という事になる。
そうだとすれば、「正しいレートより円安だから、長期的には円高方向の力が働くはずだ」とは言えないことになり、正しいレートを知ろうとする意味があまり無い、という事になってしまう。現実の経済は複雑すぎて、経済学者が考える通りには動かないのである(笑)。
・経常収支が黒字でも円高になりにくい
さて、貿易サービス収支の黒字が減っている事は上記の通りであるが、経常収支は大幅な黒字が続いている。投資収益収支が大幅に黒字だからである。それなのに、なぜ円高にならないのであろうか。
おそらく、その主因は「投資収益は、輸出代金と異なり、現地で再投資される比率が高いので、投資収益収支の黒字は円高要因とはなりにくい」という事であろう。
定期預金をする際に「元利とも自動継続」を選ぶ読者も多いであろうが、その発想である。「老後のためのドル建て貯金が利子を生んだので、利子も老後のためにドル建て貯金しよう」という事ならば、利子収入があってもドル売りは発生せず、円高要因とはならないのである。
直接投資収益についても同様であろう。「海外でのビジネスで儲けよう」と思って海外に投資をしたら、予想通り利益が得られたという場合、「得られた利益も海外でのビジネスに投入して更に大きく儲けよう」と考えるのは自然な事であろう。
直接投資については、投資収益のみならず、特許権使用料にも着目したい。日本企業が海外に工場を建てて生産する場合、現地子会社は親会社の技術を用いることになるから、親会社に特許権使用料等を支払うことになる。この分も、親会社としては本国に持ち帰って円に替えるのではなく、現地でのビジネスを拡大するために使う場合が多いであろう。
「日本経済は少子高齢化で成長が見込まれないから、海外で儲けよう」と考えている企業が多いのだとすれば、ますます海外で稼いだ金は海外に再投資しようと考えるはずである。
・老後の資産をドルで持つのも選択肢に
日米物価上昇率格差にもかかわらず、円高圧力が働いていない、という事は、今後もそれほど円高圧力が働かない可能性も高そうだ。
そうであれば、老後のための資産を米ドルで持つのも有力な選択肢となろう。米国債で持てば日本国債より高い金利が受け取れるし、少子化で縮んで行く日本経済より米国経済の方が発展性が高いとすれば、米国株の方が日本株より有望かも知れない。
それ以前の問題として、ドルはインフレに強い資産である。たとえば日本で大災害が発生して物価が何倍にも跳ね上がったとしたら、銀行預金をいくら持っていても目減りしてしまって老後の生活が困難になってしまうであろう。
そうした時には、ドルが値上がりすることで、資産の目減りが防げるわけで、保険という意味でも米ドルを持っておく事は重要であろう。
もちろん、資産全額を米ドルで持つ必要は無いが、円とドルと株に適度に資産を分散しておく事が、リスク回避の意味でも資産運用の意味でも望ましい、という事が言えそうだ。
(6月3日発行レポートから転載)