「国産真珠」に潜む可能性 ~真珠産業の歴史と共に読み解く~

2019/05/09

はじめに

真珠は世界中の女性にとって憧れの宝飾品だ。その美しさは時代や空間を超えて人々を魅了する。欧州においては謙虚さや貞操、さらに純真の象徴とされるほか、我が国では結婚式や記念日など人生の節目にふさわしい贈り物として今も重宝されている。

しかし我が国における宝飾品としての真珠の歴史は意外に浅く、その価値が認められるようになったのは明治時代に入ってからであった。他方で我が国は1893年に世界で初めて真珠の養殖に成功した。その後、欧州諸国の一部の宝石商による猛反発に屈することなく養殖真珠の欧州進出を果たし、それまでは王侯貴族しか所有できなかった真珠がマーケットに広まるきっかけとなった。本稿はそのような歴史的背景及び真珠の輸出入の現況を振り返った上で、我が国の真珠産業を取り巻くグローバルな動きについて検証したい。

 

真珠は江戸時代まで宝飾品ではなかったという史実

19世紀末に我が国で養殖真珠が誕生する遥か昔から、人類は天然真珠の美しさに目を付け、富と地位の象徴としてその価値を認め、希少な真珠を人の手で作る方法を模索してきた。天然真珠は世界の至る所で発見されているが、主な産地としてはペルシア湾、マナール湾、アメリカ大陸、欧州大陸、中国、我が国などが挙げられる(※1)。その中でもペルシア湾岸のバーレーンでは石油が発見されるまで、数千年にわたって天然真珠の採取が続き、19世紀から20世紀前半に最盛期を迎えた。また欧州では英国・スコットランドやロシアで淡水産の天然真珠が採取され、王侯貴族の装飾品やカトリックの宗教道具として用いられた。我が国においては古事記や万葉集に天然真珠に関する記述がある。その種類にはアコヤガイから採取する「伊勢真珠」とアサリから採取する「尾張真珠」などがあり、三重県の伊勢志摩や長崎県の対馬などが古くからの産地として知られている。

しかし我が国では江戸時代まで真珠は主に「薬用」とされ、宝石としての価値は認められていなかった。宝飾史研究家の露木宏は我が国が明治時代に入ってから宝石としての真珠の価値に気付いたきっかけとして、京阪神地域の外国商館で在留外国人が真珠取引を行っている現場を後に真珠養殖を成功させることとなるジュエリー大手「ミキモト」の創業者・御木本幸吉が目撃したこと、さらには内国勧業博覧会に真珠の装身具が出展されたことなどを挙げている。

 

「パリ裁判」と真珠産業の興隆

三重県の鳥羽出身であった御木本は1893年、世界で初めて半円真珠と呼ばれる養殖真珠の生育に成功してその実用化を進め、遂には世界進出を果たした。しかし英国進出から3年が経った1921年、「日本の真珠商人が扱っている養殖真珠は、天然真珠の模造品であり、それを売るのは詐欺商法だ」と伝える記事がロンドンの新聞に掲載される(※2)と、英国のみならずフランスでもミキモトの養殖真珠に対する風当たりが日増しに強くなり、民事裁判(「御木本パールのパリー裁判」)へと発展した。訴訟中、英国やフランスの権威ある学者が養殖真珠と天然真珠は科学的に違いがないと発表した結果、ミキモトは全面勝訴し、却って養殖真珠界における名声を確立させた。その後は海外における直売や当時神戸を拠点にしていた外国商社によって、我が国の養殖真珠が輸出されるようになり、一大輸出大国にまで上り詰めた。なお、世界で流通する真珠の約 70%の選別・加工は現在も優れたノウハウを持つとされる神戸で行われている(※3)

しかし我が国の現在における真珠産業を取り巻く現況は明るくない。真珠生産の推移に目を向けると、第二次大戦後は海外需要の拡大に支えられて急増し、1966 年には戦後ピークの 150 トンに達した(※4)。しかし1992年に新種プランクトン「ヘテロカプサ」による赤潮が三重県英虞湾に発生し、アコヤガイの大量死が深刻化して以降、国産真珠の品質低下や養殖技術の海外移転が進んだために生産量は減少を続け、2011年にはピーク時のおよそ10分の1となる15トンにまで落ち込んだ(※5)。2013年頃から香港を筆頭にアジア諸国における需要の伸びを背景に輸出額は上昇を続けているものの、インドネシアや中国などによる真珠生産の伸びが著しく、我が国は苦戦を強いられている。

 

我が国の真珠産業の復活はあるのか

他方でマーケットに出回る真珠の量が減少すると、外国人バイヤーの間に品薄感が広がり、真珠需要が急増する可能性もある。1971年に真珠輸出額がピーク時の約半分となった際は、養殖業者が次々に廃業・転業したことでむしろ外国人バイヤーによる買付けが増加した。さらに、英国のエリザベス女王は1975年5月に来日した際、夫のフィリップ殿下と共に鳥羽を訪れ、真珠島にあるミキモトの工場で真珠の加工作業を見学した(※6)。エリザベス女王が我が国を訪れたのは後にも先にもその一度きりであることからも、我が国の真珠産業に対する英王室の関心の高さをうかがい知ることができる。

さらに政府は2016年5月、先進国首脳会議を三重県志摩市で開催し(伊勢志摩サミット)、その翌月には我が国の真珠産業の発展を目標に掲げた「真珠振興法」を国会で成立させるなど、真珠産業の再興に熱を上げている。

そして先月(4月)下旬、英紙ガーディアンは“Pearl farming in Japan – in pictures”という見出しで、三重県の英虞湾でアコヤガイの真珠養殖に携わる家族の様子を、詳細な作業プロセスを付記した写真特集として掲載し、冒頭でこう書いている:「真珠養殖は衰退したものの、日本は今も世界の養殖真珠マーケットを独占している。過去10年で、日本は年平均20トンの養殖真珠を生産している」(※7)

英国が我が国の真珠養殖に再び熱い視線を注いでいるのは明白だ。果たして御木本が始めた国産真珠が再び日の目を見る時は来るのだろうか。真珠の養殖技術をめぐって技術成長著しいアジア諸国の猛追を受ける中、今後は我が国における真珠の国内需要の拡大のみならず英国の動静及びグローバルなマーケットにおける真珠産業の動向そのものに、一層注目する必要がある。

 

*より俯瞰的に世界情勢やマーケットの状況を知りたい方はこちらへの参加をご検討ください(※8)

 

※1 http://www.cgl.co.jp/latest_jewel/tsushin/14/16.html

※2 https://www.mikimoto.com/jp/history/index.html

※3 https://www.mikimoto.com/jp/history/index.html

※4 https://www.kitamura-pearls.co.jp/history//

※5 同上

※6 http://www.asahi.com/special/gallery/2016iseshima/sinju1_20100413P038162AR_GOM.html

※7 https://www.theguardian.com/world/gallery/2019/apr/22/pearl-farming-in-japan-in-pictures

※8 https://haradatakeo.com/ec/products/detail.php?product_id=3194

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所
トムソン・ロイターで配信され、国内外の機関投資家が続々と購読している「IISIAデイリー・レポート」の筆者・原田武夫がマーケットとそれを取り巻く国内外情勢と今とこれからを定量・定性分析に基づき鋭く提示します。
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