監査価値を問う
・顧客として、商品やサービスの提供を受けた時、その内容が満足できたかどうかは誰にでも評価できる。満足できれば継続し、そうでなければ別の商品やサービスを探す。
・その時、商品やサービスの品質と価格が問題となる。品質は高い方がよい。価格は安い方がよい。また、同じ商品やサービスを継続した方が、安心で便利である。
・ここで品質とは何か。不良品質は問題外であるが、低品質か中品質か高品質かは、どこまで許容し、どこで妥協するのかに依存する。品質が上がるほど価格は高くなる、と考えそうだが、本当だろうか。
・7月にPwCあらた有限責任監査法人と、JPX(日本取引所)自主規制法人上場部の専門家の話を聴いた。その時の議論を踏まえて、いくつかの論点を考えてみたい。
・監査の品質が問われている。企業の財務諸表に誤りがあるのに、監査法人がそれを見過ごしたとなれば、投資家は困ってしまう。財務諸表は正しいものとして使っている。つまり、一定の品質は満たしており、企業の財務パフォーマンスを見る上で、十分信頼に足るものであることを前提にしている。
・そこに過誤や不手際、不正や虚偽があり、見過ごされていたとすれば、ことは重大である。まして会社側に何らかの意図があって、教えない、隠す、騙す、という事態が進行していた時、どうやってそれを暴くのか。
・不正リスクには、架空、水増し、飛ばし、簿外、先送り、流用、横領、着服などさまざまな可能性があり、組織的になればなるほど必死の戦いとなる。
・会社は財務的に追い込まれると、粉飾を行うことがある。一時凌ぎでも、とりあえずうまく乗り切ろうと、売上の水増しや損失の先送りを画策する。監査法人はそれをみつけられないのか。
・会社のマネジメントに計画犯がおり、現場に実行犯がいる時、これを見破るのはなかなか難しい。それでも、速やかに不正を発見してほしい。一般に粉飾が軽く済むことはなく、やればやるほど事態は悪化して、いずればれてしまう。内部通報も含めて、隠せないほどにガンが増殖してしまうからである。
・監査にはしっかりした基準がある。それに基づいて、会計監査が行われる。公認会計士によって、監査に差が出ては困る。監査法人によって差が出ては困る。しかし、ぎりぎりのところにくると、裁量の差が出てくる可能性がある。
・どうすればよいのか。アナリストの視点からみると、監査法人は、会社の内部に入って何でもみることができ、インタビューすることができるのだから、会社の財務諸表のウラにある実態に迫れるはずであると考える。
・そこで会社分析をきちんと実行してほしい。そうすれば、過大な見積もりや、都合のよい処理、辻褄合わせの数字作りを見抜けるのではないか。
・監査品質のプロセス管理は、外部の投資家からはほとんどわからない。どんなところを重点的に監査したのかを知りたい、と思うのは当然である。今後は、「監査上の主要な検討事項」を開示する長文監査(KAM)が実行に移される方向なので、監査プロセスの見える化は進展しよう。
・アナリストとしては、監査品質の向上と共に、監査価値を問いたい。よい監査を実行することで、財務諸表の信頼度が高まるのであれば、それは企業価値の向上に結びつく。まさに監査価値の貢献である。この内容を実感できるようになれば、監査報酬はもっと高くて何ら問題ない。
・企業がお金を払って監査をしてもらうとすると、そこに客観性を求めるのは難しいのではないか、という素朴な議論が常に介在する。監査は、コストなのか、リスクマネジメントなのか、価値創造なのか。
・監査はだれにとって有用なのか。ステークホールダーのだれにとっても極めて大事である。投資家にとっては、投資価値を判断する前提として、監査を信頼する。企業にとっては、企業価値を高めるためのコアとなるインフラである。
・監査は、コストではない。価値創造のための重要はキャピタルである。キャピタルがアセットを生むのである。
・一方で、監査法人にも、媚びへつらいや傲慢な姿勢、杓子定規な対応は許されない。そのように考えて、互いに切磋琢磨する必要があろう。
・今、アナリストとして最も知りたいことは、監査法人の交替に関する理由である。建て前ではなく、どういうプロセスにおいて信頼感が崩れていったのかを知りたい。人間であるから、互いの相性もあろう。しかし、単なる感情論ではなく、事業の遂行において、会計手続き上の認識の違いが事業にまで影響していることが起きていると感じる。
・一方、企業をみると、会計不正どころか、本業不正もまかり通っている。昨今では、製品データ偽装や無資格検査などが問題となった。‘品質管理の日本’はどこに行ってしまったのか。ものづくりが緩んでいるのか。
・一部の企業の例外なのかというと、どうもそうでもないとみられる。筆者が若かりし頃、統計的品質管理や総合的品質管理をさかんに学んだが、その頃の品質管理の勢いはないのであろうか。
・形だけ基準を満たせばよいのか。基準そのものがかなり意味を失っているのか。とすれば、基準を改定すればよい。それには手間がかかるので、勝手に手抜きをしてしまうのか。それでも実害がないことが多いのかもしれない。
・マネジメントは現場に関心がなく、現場放任で結果だけ求めていたのか。実害がないので、手抜きに問題なしと見過ごしていた節もある。それが大失態となり、経営の根幹を揺るがす不祥事となっているといえよう。こうした本業不正は、いずれ財務パフォーマンスに決定的に響いてくる。会社の存続まで問われる。
・投資家やアナリストは、企業価値創造に関するプロセスを会社サイドと共有したいと考えている。財務パフォーマンスの開示情報については、監査法人に絶大な信頼を寄せている。ぜひとも監査品質の向上を通して、監査価値が企業価値の創出に結びついていることをみせてほしい。アナリストはそのコネクティビティ(結びつき)を常に高く評価しよう