生物としての寿命とヒトとしての存在

2016/07/19 <>

・人間の寿命はどんどん延びてきた。筆者の母は95歳まで生きたので長生きの方であった。日本人の寿命は2014年で男性80.5歳、女性86.8歳である。平均寿命はまだ延びていく。100歳以上の人口も6万人を超えてきた。早晩10万人を超えて、いずれ100万人になるかもしれない。

・人間は、生物学的には120歳まで生きられるともいわれる。そういう人が出てきそうである。では、現実の歴史はどうであったか。厳しい自然社会環境の中で、長く生きるというのは大変なことであった。縄文時代は31歳、室町時代は33歳、江戸時代は45歳、戦後の昭和22年で52歳であったと、本川達雄氏(東工大名誉教授)は話す。

・本川説(「ゾウの時間ネズミの時間」)は、心臓の鼓動は一生で約15億回、小さい動物は鼓動が早く、彼らの時間は早く過ぎていく。一方、大きい動物は鼓動が遅く、時間もゆっくり過ぎていく。人間が定めた時間でいえば、ネズミの寿命は短く、ゾウの寿命は長い。それはエネルギー消費量に比例しているという考えである。

・先生の見立てによると、人間も心臓の鼓動15億回として、生物的寿命は41歳程度である。つまり、子供を産んで育てるという生殖が終わる時期に見合っている。人生50年というのは、生き物としては当たっているという。論語に「老而不死是為賊」という一説がある。世の中は輪廻の世界なのに、歳をとって世の厄介者になってよいのか、という意味合いである。

・50歳を超えて長生きするというのは、技術が生み出した人工生命体ともいえる、と本川先生は解説する。つまり、生物としての寿命とは別に、人間社会が発展し、生物の中で唯一老後の面倒をみるという文明を作り出した。ヒトとしての社会的存在のありようのなせる業である。

・昔の歴史をみても、世継ぎが幼少期にちょっとした風邪で亡くなってしまうことが頻繁にあった。さまざまな流行り病で、大人でも老人でもすぐに倒れてしまう。栄養が十分でないので、体力的に持たなかった人々も多いと思う。その点、現在は医療や介護、社会保障が発達して、長生きができるようになってきた。

・日本は世界でも有数の長寿国であるが、世界の国々をみれば、発展途上国や紛争の激しい国々では、子供や老人が長生きできる状況にはない。

・生物は常に永遠を求めていると、本川先生は説く。つまり、個体が滅びても、子孫が永遠に続くことを望んでいる。つまり、常に次世代のためを考えて活動しているともいえる。種として子供を生み育てるという行為が、生き続けることである。

・では、現実に戻って、今の日本ではどのような社会が望ましいのであろうか。65歳以上の人口が全体の25%を占めるようになった。20年後には、この比率が3分の1を超えていこう。しかも、65歳以上の中で、比較的元気な65~74歳よりも、後期高齢者といわれる75歳以上の比率が1.5倍以上となってくる。

・日本の公的年金制度は、世界的にみて充実している。しかし、高齢化は一段と進むので、その仕組みを改革していく必要がある。改革は今の受給者には不利になりそうである。しかし、このままでは、次世代の受給者からみると、割に合わないということにもなりかねない。後世代にツケを回すことはできないので、高齢者は我慢することが求められる。

・7月に催された年金総合研究所のシンポジウム(「公的年金制度の歴史とその展望~基礎年金制度発足30年」)で、清家篤先生(慶應義塾長)の講演を聞きながら、個人的にも社会的にも実践できたらよいと思ったことをいくつか挙げてみたい。1つは、元気なうちはいつまでも働くということである。とりわけ、75歳まで働けるような枠組みを作っていく必要があろう。

・それには、定年制をなくすことである。だが、これは若者の就業機会を奪うことにもなるので、工夫が求められる。せめて企業の会長、社長と同じ年齢まで定年を延長することである。つまり、それなりに能力を活かせるヒトには仕事場がありうる、という状況を作っていく。社員は60歳定年で、社長は70歳でも現役というのでは不十分である。

・2つ目は、女性が男性と同じように働けるようにする。女性が男性と同じように長く働くことが、本人のやりがいはもちろん、社会的にも付加価値の創出に貢献する。働き方で女性が不利にならないように、仕組みと意識を改革していく必要がある。

・3つ目は、結婚してダブルインカムになり、その中で、子供を育てることが人生としての喜びはもちろん、経済的にも効果が高いと感じられるようにすることである。子供への投資は、次世代の付加価値を生み出す源泉である。よって、国民経済的に大いに先行投資してよい。親の経済的負担を十分サポートすべきである。老後の年金も大事であるが、若者への投資はもっと拡大してよい。

・4つ目が、子供が親の面倒をみる仕組みを変えることである。2つの側面があろう。1つは、親は自分の子供の面倒にはならないというが、最後の10年は誰の世話になるのか。自分の子供ではなく、国の世話になるという人も多い。しかし、国による経済的負担は、他人の子供たちが負担している税金である。よって、もっと自分の子供に頼るべきである。そのためには子供をしっかり育てる必要がある。

・その一方で、世話が必要になった親の面倒を子供だけに負わせるのは酷である。子供がしっかり働けなくなり、仕事を犠牲にして親の面倒をみるだけでは、共倒れになってしまう。その意味で、親にはできるだけ長く自立して生きてもらいつつ、世話が必要になった時でも、子供の仕事はきちんと続けられるようなサポートシステムが求められる。

・人間は一人では生きていけない。社会的存在としてのヒトは、一人ひとりかけがえのない価値を有する。しかし、生物としての人間は輪廻の世界にあり、自分の寿命がきても子孫が社会を紡いでいく。未来がよりよき社会に発展してほしいと願う。

・聖路加国際病院の日野原先生(104歳)がいうように、‘生命とは時間のことである’と実感する。自らの寿命には限りがある。しかし、ヒトとしての存在は永遠であることを求めていると思う。こうした視点から、社会のあるべき姿について考えていきたい。そうすれば、目先にとらわれない気持ちになることができよう。老後や年金についても、ここから再考したい。

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