「変化への対応」のDNA

2014/11/10

・10月の日本証券アナリスト大会で、セブン&アイ・ホールディングスの村田紀敏社長の記念講演を聴いた。テーマは、経営革新のDNAについてであった。セブン&アイは、「変化への対応」を経営の大原則としている。

・村田社長は、変化を予測できればそれにこしたことはないが、現実には難しい。むしろ今起きている変化を読みとって、それにいかに対応していくか。これがセブン&アイのDNAであると強調する。

・一見「変化への対応」は誰にでもできそうであるが、そうはいかない。他社に真似できないところまで、企業の組織能力を高めている。これが本物の差異化である。具体的には、①社会の変化を的確に読み取って、②新しいイノベーションを持ち込み、③組織能力を高めていく。イノベーション(技術革新に基づく仕組み革新)には、チームとして取り組んでいく。組織で大事なのは現場なので、現場力を高めていくことに力を入れる。これがセブン&アイの基本的な考え方である。

・高度成長期は売り手市場で10人一色であった。それが買い手市場に変わり、バブル期は10人十色となった。その後のデフレ期は1人十色となり、商品とサービスの多様化が進んだ。変化は常に起きている。マネジメントや現場がそれに合わなくなると、成績が落ち始める。すると、現場は必ず言い訳から説明を始める、と村田社長はいう。

・これに対して、セブン&アイの「業革」は1982年1月、鈴木会長が専務の時から始まった。どうして、なぜの一点張りで、それが今でも続いている。その中からセブン&アイの単品管理が生まれた。

・デフレの時代に総合小売業(GMS)は衰退していった。ライフサイクルの短縮化が進み、品質の良さと新しい価値がなければ売れない時代に入った。専門店化が進んできた。では、これからはどうなるのか。村田社長は3つの点を強調する。

・第1は、60歳以上の高齢者がますます主役になっていく。高齢化は世帯数の増加に結び付き、有職女性も増加する。消費者の構成をみると、ニューファミリー層よりも高齢者の比率が上回っている。そうなるとセルフ(セルフサービス)が邪魔になってくると指摘する。つまり、お店に行って、自分で選んで、カゴに入れて、持って帰ってくるというパターンが必ずしも通じなくなるという意味である。

・第2は、商品について新しいものが求められる。そこで、自社の情報にメーカーの技術を組み合わせて、チームとしてPB商品を展開してきた。PB商品作りは2007年5月にスタートし、粗利率30%を目標に、少量パックで売ることに力を入れてきた。PB商品は、現在8000億円の年商に育っている。

・例えば、金の食パンは2枚入りで119円。通常の6枚切の237円よりも割高であるが、ニーズには合っている。但し、美味しいものはすぐに飽きられる。そこで、絶えずリニューアルしていくことが求められる。

・セブンカフェは2013年1月に1杯100円でスタートして、1店当たり60杯/日売れたが、その後どんどん売れだして、2014年8月には同120杯となった。しかし、もっと美味しくするために10月にはまたリニューアルする。セブンプレミアムのPB商品は、2015年には目標の1兆円に乗ってこよう。

・第3は、オムニ戦略によって、グループのシナジーを強めることである。日本における2013年のスーパーの売上高は13.0兆円、百貨店は6.4兆円、コンビニは9.4兆円であったのに対して、Eコマースは11.4兆円へ拡大している。どう対応するのか。ネットと店舗は対立競合するだけではなく、補完共存できるという考えがオムニ戦略である。

・セブンーイレブンを中心にしたグループの2万店が、顧客へのアクセスにとって重要な意味を持つ。ラスト1マイルが鍵を握る、と村田社長は強調する。商品やサービスを、見る、比較する、実際に手に取って感じる、そして近くの店まで取りに行く、あるいは家に届けてもらう、という点で、ネットとリアル(店舗)の融合は意味がある。2015年の秋には新しい形のものが登場してくるという。大いに注目したい。

・もう1つ興味深い話があった。米国のセブンーイレブンをいかに再建したか。本家のサウスランドは1980年代には8000店を有して、売上高127億ドル、純利益2億ドルで全米6位の小売業までにのし上がっていた。しかし、90年にチャブター11を申請し、実質的に倒産した。91年3月に当時のイトーヨーカ堂が70%の資本参加をして子会社化した。

・経営がうまくいかなくなった原因は、本部と現場の乖離にあったと村田社長はいう。自分の店、自分の商品という意識がなくなっていた。そこで、①ディスカウントストアからの脱却と、②物流センターの売却を図った。つまり、安売りをせず、店にいらないものまで大量のロットで輸送させないようにした。

・全てを見直した。お客の立場で、現場主義を徹底した。その間、日本から日本人のマネジメントは送らなかった。応援と教育はしたが、全て現地が自分たちでやるように仕向けた。5500店まで減った店が、8500店まで増えた。2000年に13年ぶりに再上場した。その後経営を一体化するため2005年にTOBを実施して、完全子会社とした。

・重要なことは、経営者を送ったのではなく、日本における経営の仕組みを米国に移植し、現地で再生したのである。つまり、移植可能な経営のシステムが、日本において出来上がっていたということである。ものづくりの製造業とは別の形ではあるが、サービス業のグローバル展開に当たって、本質的な競争力の源泉であると高く評価できよう。

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