福島はどうする~会津で感じた復興の視点
喜多方ラーメンは健在
会津に観光客が来なくなっていると聞いて久しい。福島第一原発から会津は100kmの距離、原発から仙台までが100kmであるからほぼ同じである。福島の原発地域から来ていた避難民の方々も、初めはホテル、旅館、民宿に滞在していたが、今は仮設住宅に移った。機会があって、10月初めにわが故郷である会津若松で、福島県の商工会議所の若手の人たちと議論する場があった。
その前に久しぶりに喜多方に行ってみた。有名な坂内食堂(ばんないしょくどう)のラーメンの行列はかつてよりは少ないというが、昼時を少し過ぎていたにも関わらず、30分以上は待った。車、オートバイなどで県外からラーメンを食べに来る人は戻っている。喜多方老麺会には45店が加盟している。喜多方のラーメンはどこでも美味しいよ、という会話が聞こえてくる一方、せっかく来たのだから一番有名なところで食べていこうということに落ち着くようだ。この評判、ブランドをどう評価するかは大事な視点である。
会津のお城(鶴ヶ城)は赤瓦へリニューアル
若松市内の中心にある鶴ヶ城に行ってみると、観光客が結構来ているではないか。インタビューをしてみると、最初の御一行は仙台から、次は郡山から、そして3番目の団体は埼玉からであった。タクシーの運転手に聞くと、珍しい、こんなことはあまりなかった、と言っていた。地元の老人に聞くと、お城の駐車場に大型観光バスが停まるようになってきたという。10月の紅葉のシーズンに入って少し変化が出ているようだ。今年の紅葉はやや遅いらしい。
会津のお城は1年かけて屋根が葺き替えられた。今までは鼠色の瓦であったが、それが江戸時代と同じ赤瓦に戻された。なぜ赤いかといえば、鉄分が多いことによる。鉄分が多いと冬の寒さにも強いという。さらによく知った人に聞いたら、もともと瓦用の土が鉄分を多く含んでいたので赤瓦になったという。長年慣れ親しんだお城の瓦が変わったことで、イメージが一新した。ぜひ一度見て頂きたい。全国でも赤瓦は、沖縄の首里城と会津の鶴ヶ城だけと評判である。オリジナルの重視、忠実な再現は人々の心に響くものがあるのだろう。
猪苗代の南にある布引風力発電所は圧巻
会津若松市内から車で1時間、猪苗代湖の南の山にある風力発電所を訪れた。巨大な風車が33基回っている。郡山に属する地域であるが、2007年2月から日本でも有数の風力発電として稼働している。1基2000kWの巨大な風車が33基回っている。発電能力6.6万kWというのは日本で2番目の規模である。福島を再生エネルギーのメッカにしようという構想もあるようだが、風力発電の設備を実際に見てみるのも参考になる。この風車はドイツのエネルコン社(Enercon)製であるが、最近は日本企業も力をつけている。風力発電産業の裾野は広そうなので、ぜひ産業として育てていく必要があろう。郡山布引高原発電所は、J-POWER(電源開発、コード:9513)の発電所である。一基2~3億円の投資として60~90億円の投資規模であろうか。部品点数が1~2万点と、機械・電機産業への波及効果も大きい。地元に風力発電産業を立地しよう。
復興需要はどこまで出るか
がれきの処理、除染の徹底に加えて、地震、津波によって被災した施設、住宅などを再建するという需要はかなり出始めている。これから、さらに本格化してこよう。風評被害は落ち着いてほしいが、放射線の計測による反応次第では、いつまでも尾を引く可能性がある。除染には1兆円規模の資金を要するが、それでも山の中は難しい。林業、山菜、散策などへの影響は大きい。復旧の後、何らかの産業振興はぜひとも必要である。継続的な雇用を生む観光や都市づくり、産業振興が求められる。中国、韓国からの観光客が従前以上に来るように、再生エネルギーの新しい都市をつくるなど、アイデアの実現に向けて、官民あげて手を打っていくことが必須である。幸い、地元の意見が通り易い局面にある。小さな要求ではなく、大きな絵を描いて推進してほしい。
2013年のNHK大河ドラマは「八重の桜」
山本八重の生家は、鶴ヶ城の近くにあった。私が高校まで住んでいた家のすぐそばである。八重は戊辰戦争の時にお城に立て篭もって戦い、維新後は同志社大学を創設した新島襄の妻となって活躍した。こんな話題もあるので、会津の観光はそれなりに復興してこよう。会津魂の「ならぬことはならぬ」にぜひ注目していただきたい。
それぞれの地域が、ストーリーをもって情報発信していくことで、東北の活性化は次第に効果を上げてこよう。ぜひ応援していきたい。