アルゼンチン取材報告②-停滞の原因と100年後の日本
先進国から停滞国へ
アルゼンチンには、恵まれた自然、欧州の雰囲気を伝える文化など、数多くの魅力があります。しかし経済の現代史においては、先進国グループから脱落したほぼ唯一の国という、不名誉な位置づけです。
100年前のアルゼンチンは、農産物の生産・輸出を原動力に、世界屈指の経済大国として名声を得ました。一人あたりの経済規模も、日本やイタリアを大きく上回っていたのです(図表1)。例えば欧州の有能な人が新天地を求めるとき、北米のニューヨークか南米のブエノスアイレスか、と迷うほどでした。
停滞の根本的な原因:好環境と成功による慢心
しかしその後は工業化が遅れ、停滞国へと沈んでいきました。また、国債の債務不履行や通貨暴落、極端なインフレが頻発するため、政策の失敗例を論じる際、常に言及される国になってしまいました。
停滞の根本的な原因は、絶頂期の栄華と豊かな自然環境ゆえの慢心でしょう。特に農産物・畜産物が豊富なので、「食」という最も基本的な欲求を満たすのは比較的容易です。それ自体は幸運なことですが、産業の高度化など苦しい努力を強いる改革を妨げたという意味では、裏目に出てしまったと言えます。
そのほかの原因:不安定な政治、稚拙な経済政策、階級社会
政治の混乱も発展を阻害しました。20世紀半ば以降、軍部と左派の抗争やクーデターが相次いだのです(ただ、今は中道右派政権)。そんな中では、確固たる展望に基づく政策を持続することができません。
汚職の横行のため政治家が信用されていない、との事情もあります。また、欧州流の階級構造(写真1)や首都と地方の格差も問題です。不満をそらすべく、政治がポピュリズム(大衆迎合)に走りやすいのです。前の左派政権も、規律を欠く歳出や保護主義(関税など)で財政赤字やインフレを招きました。
中南米における地位も転落
英国から米国への覇権移行という、20世紀前半の動きもアルゼンチンへの逆風になりました。英国(写真2)との貿易・投資関係に依存しすぎていた一方、米国とはさほど強固な関係を築かなかったのです。
以上のような様々な要因で、経済規模(国内総生産)ではブラジルやメキシコに、一人あたり経済規模ではチリやウルグアイに追い越されていきました。アルゼンチン人が見下していた国々です。国民の大多数は欧州系の白人なので、ほかの中南米諸国に対し人種的な優越感があったことも否定できません。
米国・欧州・日本が噛み締めるべき教訓
アルゼンチンが現在の先進諸国に教えているのは、その地位が100年後も続いている保証は全くない、という教訓です。米国や欧州については、階級分断、保護主義、大衆迎合が没落を招くかもしれません。
日本の場合、アジアでいち早く先進国入りしたことによる慢心、ゆがんだ優越感が最大の障害です。それらを捨てて現状を直視しなければ、思い切った改革(AI化など)は進みません。「第2のアルゼンチン」化も必然です。慎ましく暮らすには良い国なので、停滞国で十分、という考え方もあり得ますが。
図表入りのレポートはこちら
https://www.skam.co.jp/report_column/topics/
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