ドル不足のメカニズムはトイレットペーパー不足と同じ
■人々が不足すると思って買う(ドルを借りる)から不足する
■工場にはあるがトラック(金融仲介機能)が足りない
■ドル不足は悪循環が金融危機や通貨危機に波及するリスクあり
■基軸通貨の金融仲介機能低下なら世界的な問題
(本文)
本稿は、金融危機に関するシリーズの第2回である。金融危機に関する全体像については第1回の拙稿「金融危機は繰り返す」をご参照いただきたい。
詳しくはhttps://column.ifis.co.jp/toshicolumn/tiw-tsukasaki/118769を御参照いただければ幸いである。
■人々が不足すると思って買う(ドルを借りる)から不足する
トイレットペーパーの不足は、ようやく少し和らいで来たようだ。それにしても、世の中では不思議な事が起こるものである。マスクと異なり、トイレットペーパーの消費量が新型コロナで増える筈もないので、品不足になる筈は無いのに。
一部の人々がデマを信じて通常より多くトイレットペーパーを購入したため、実際にトイレットペーパーが店頭から消えた。それを見た他の人々は「デマだと思って買わなかったが、デマが現実となった。自分も少し多めに買っておこう」と考えたので、一層不足するようになった。という事のようである。
全くのデマではなく、少しはトイレットペーパーが不足する理由もあったのかも知れないが、事の本質は人々がデマを信じた事である。
さて、世界中でドルが不足し始めたようだ。これも不思議な話である。貿易も投資も米国内のビジネスも縮小しているので、ドルの需要は通常より落ちているはずなのに。
これも、おそらく原因は同じで、「CASH IS KINGと言われているから、人々がドルの確保に走るだろう。ドルが手に入らなくなると困るから、自分も多めに確保しておこう」と考えた人が多かったために起きた現象なのであろう。
■工場にはあるがトラック(金融仲介機能)が足りない
トイレットペーパーのメーカーも政府も「在庫は十分にあるので、買い急ぎをしないように」と呼びかけたが、その呼びかけは不適切であった。メーカーや政府を信じて買い急ぎをしなかった人は、品不足で困ることになったからである。「自分さえ良ければ、という大量購入は避けて」とでも言えば良かったのに。
その理由は「通常の販売量と比べると在庫は十分だが、人々が多めに買う事まで考えれば在庫は不十分だった」事かも知れない。仮にメーカーには在庫が十分あったとしても、店舗まで運ぶトラックが不足していたのかも知れない。
ドルに関しても、同様である。中央銀行は巨額の資金を提供した。通常のドル需要を満たすには十分すぎる量であったが、それが人々のドル確保需要を満たすに十分であったか否かは不明である。保管場所が必要なトイレットペーパーと異なり、人々のドル確保需要は保管場所を必要としない分だけ無限に拡大しかねないからである。
中央銀行が資金を供給しても、それを借り手まで運ぶ手段が限られていたのかも知れない。たとえば銀行が自己資本比率規制によって「金庫に札束が積んであるが、貸出できる金額に達したので、今後は貸出は出来ない」という事だったかも知れないからである。
■ドル不足は悪循環が金融危機や通貨危機に波及するリスクあり
ドルが足りないという事になると、ドルの貸出を回収しようという動きが広がるかも知れない。そうした時に返済要請が集中するのが弱い所である。「他の貸し手からの返済要請が来ると倒産するかも知れないような弱い借り手」に対しては、借り手が「他の貸し手より先に返済を受けてしまおう」と考えるからである。
たとえばシェールオイル関連の企業は原油価格暴落で痛んでいるはずなので、そこに返済要請が集中するかも知れない。人々がそう考えると、一層多くの人々がシェールオイル関連企業に返済を要請するようになるかも知れない。それが金融危機の引き金を引く可能性は頭の片隅に置いておきたい。
経常収支の赤字を対外債務で補っている途上国も、先進国の貸し手から返済要請を受けるかも知れない。国内にドルがなければドルを買うしかなく、自国通貨安ドル高が進むかも知れない。そうなると、ドル建ての負債の返済負担が加速度的に重くなっていくかも知れない。それが通貨危機の引き金を引く可能性は頭の片隅に置いておきたい。
■基軸通貨の金融仲介機能低下なら世界的な問題
こうした状況が悪化していくと、金融機関が資金提供をしなくなったり出来なくなったりしかねない。金融仲介機能の低下である。
米ドルは基軸通貨であり、世界中の貿易や投資で使われている。金融仲介機能の低下等によりドルが必要な所に行き渡らなくなると、世界経済に甚大な影響を及ぼしかねない。
「金融は経済の血液である」と言われている。血液が止まると体内の各臓器が止まってしまう、というわけである。そんな事が起きないように祈るばかりである。
本稿は、以上である。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織等々とは関係が無い。また、わかりやすさを優先しているため、細部が厳密ではない場合があり得る。
(3月26日発行レポートから転載)