しがみつかない株式投資
10月に開催された世界経営者会議を、毎年聴きに行っている。今回、オリンパスの菊川会長の講演は急遽取りやめになった。CSRのセッションであったが、何を話すつもりだったのだろうか。
一般に、殿、ご乱心の時、どうするのか。遠くから見ている限り、人の心の内面は分からない。いつも話していれば、何かおかしいとは分かってくるはずである。オリンパスには、社外取締役が3人(金融、マスコミ、医学出身)、大王製紙には非常勤監査役が3人(弁護士、弁護士、警察出身)いた。たまに近くで接したとして、事態が分かるだろうか。やはり日々接している常勤の役員に、人をみる目があれば、おかしいと分かるはずである。ダメなものはダメと、どうしたら言えるか。言ったとして、どのように歯止めをかけるのか。討死しない作戦と覚悟が必要である。普段から鍛えておく必要があり、誰にでもこういう場面が一生に何回かはありそうだ。
投資家としてはどうすべきなのだろうか。普段から、経営者の話を聴くことはぜひ必要である。しかし、たまに聞いたとして、その経営者の本音を垣間見ることはできるだろうか。何度か聞きいていくと、次第に分かってくることも多い。特に優れた経営者の場合は、自分を出すことに躊躇しないからである。逆の場合は、隠そうとしてもその姿勢が伝わってくるので、問題ありということが分かってくる。
そういう落ち着いた見方をするには、すこし心のゆとりが必要である。話題の経営者は何にとりつかれ(haunted)、何にしがみついたのであろうか。少し前に、香山リカ氏の「しがみつかない生き方」(幻冬舎、2009年)という本を印象深く読んだ。それを読みながら、その内容は株式投資にも当てはまると感じた。
確かに、株式投資に適度なリターンと適度な緊張はほしい。では、どのくらいのお金がほしいのか。たくさんあるに越したことはないが、目もくらむような成功がほしいのだろうか。飽くなき成功願望は結局満たされない。チャンスがあるといわれ、努力もした、しかし望むものが得られない、というのでは辛い。程を知ることが大切であろう。
投資の成否に、すぐに白黒をつけないことだ。とかく投資の成功、失敗を短期で結論付けたくなる。今の一瞬で、永遠を観がちである。迷ったり疲れたら、少し休むことである。人は嬉しかったことは忘れ、嫌なことは覚えている。思い出を教訓にして、がまんも必要であろう。
そんな人は少ないと思うが、株式投資に総てを捧げないことだ。お金儲けだけが動機では、株式投資は長続きしない。むきになって、こだわらないことである。さもないと、うまくいかない時に、後悔と寂しさがどんどん募ってくる。そこそこのマイナスをバネにするくらいが丁度よい。本業にしないで、サイドビジネスであるくらいがよい。生き甲斐の1つであっても、総てではない。大事な生き甲斐は別に持って、株式投資中心の生活パターンにはしないことが大事である。
また、他人の成功話に踊らされないことだ。お金の話をするのは、はしたないことではない。金融におけるマーケティングはまさにビジネスで、お金の話ばかりである。でも、うまく行った自慢話はあまりしない方がよい。自慢が誇張になり、自慢競争は自分を見失うことになりかねない。世の中によくあるうまく行くというメソッドも単純には信じない方が安全であろう。
そして、株式投資に過大な夢を求めない。夢は大事だが、宝くじのような大当たりが夢ではないだろう。反面、今日生きる糧を得るために株式投資を実践すると、やはり無理がかかってくる。諦めなければ夢はかなう、では辛い。逆に、うまく行かないのは自業自得と思わないことも大切である。運用とは、「運を用いること」なので、自分一人で決まる話ではない。一番大切にしたいことは、心と時間の余裕を持つことである。しがみつかない、とりつかれない姿勢をもつことで、人の言動がより見えてくるようになろう。