オーケーエム<6229> 顧客ニーズに合わせたカスタマイズバルブを開発・製造・販売
幅広い業界向けにバタフライバルブを中心とした流体制御機器を提供
顧客ニーズに合わせたカスタマイズバルブを開発・製造・販売
業種: 機械
アナリスト: 髙木 伸行
◆ カスタマイズ製品に強いバルブメーカー
オーケーエム(以下、同社)は、流体制御機器の製造、販売を行っている。主な製品はバタフライバルブ、ナイフゲートバルブ、ピンチバルブである(図表1)。主力製品であるバタフライバルブは建築、発電、造船、プラントなど幅広く使用されており、20/3期の同社の売上高の83%を占めている。
日本工業規格では、「バルブ」という用語は「流体を通したり、止めたり、制御したりするため、流路を開閉することができる可動機構をもつ機器の総称」と定義されている。流体とは一般的には液体や気体を指すが、液体と気体が混じったもの、生コンのようなセメントや砂利などの骨材や水の混合物、粉体なども含まれる。
同社は、1962年に株式会社奥村製作所として活動を開始した当時は製紙業界などに向けてのナイフゲートバルブを主力としていた。1967年にピンチバルブの製造を、1977年に現在の同社の主力製品であるバタフライバルブの製造を開始した。
同社は標準製品では対応できない、顧客ニーズに合わせたカスタマイズバルブを中心に取り扱っている。型式やサイズ、部品、材質、制御方法のスペックの組み合わせにより様々な製品が製造されているが(図表2)、その数は10万種類を超える。
カスタマイズ製品が多いということから、受注生産が多く、需要先は造船業界、建設業界、電力業界をはじめ、プラント業界や食品業界など多岐に亘っている。
◆ 日本・中国・マレーシアで生産
同社グループは同社と連結子会社であるマレーシアのOKM VALVE(M) SDN. BHD.、中国の蘇州奥村閥門有限公司と奥村閥門(江蘇)有限公司の合計4社からなる。
OKM VALVE(M)は1990年に設立され、製造並びにマレーシアはもとより、ベトナムなどの東南アジア地域に向けてバルブを販売している。蘇州奥村閥門は03年に設立され、当初はバルブの製造を行っていたが、12年より中国市場での販売も行なうようになった。ただし、蘇州奥村閥門は閉鎖が決まっている。
奥村閥門(江蘇)は、蘇州奥村閥門の機能を肩代わりするために19年3月に設立された。港に近い常熟市にあり、21年年初には製造並びに販売拠点として活動を開始する予定である。奥村閥門(江蘇)の工場は、増設に次ぐ増設により拡張された蘇州奥村閥門とは異なり、一つの広大な建屋の工場となり、効率性や機能性に優れている。また、港にも近く立地面でも優れている。蘇州奥村閥門では40mm~1,200mmの口径のバルブを製造していたが、奥村閥門(江蘇)の新工場では2,400mmの口径まで製造可能となる。
現在は滋賀県にある本社工場と東近江工場、マレーシア、中国の4工場体制で製造を行っている。マレーシアと中国では標準品をメインに製造しており、中国および東南アジアに出荷している。また、半製品、部品などを本社工場に供給し、それに電子駆動部や空気シリンダー駆動部を搭載し、顧客のニーズに合わせてカスタマイズし出荷している。
東近江工場は19年4月に竣工した。生産品目は高成長が見込まれる船舶排ガス処理装置用バタフライバルブ(以下、船舶排ガス用バルブ)である。
◆ 陸用と舶用でほぼ半々
同社の売上高は「陸用」と「舶用」の市場区分に分類されている。陸用としては建築設備、電力ガス、化学、鉄鋼、紙パルプ、水処理などの業界向け、舶用としては造船、船舶排ガス処理用に出荷されている(図表3)。
また、海外売上高の比率も高く、20/3期は28.1%を占めた。海外売上高の約半分が韓国、3割が中国での販売となり、造船向けや半導体向けなどが多いようである。今後は船舶排ガス用バルブなどにも注力してゆく計画である。
主要販売先は、三菱商事(8058東証一部)と双日(2768東証一部)がそれぞれ60%と40%を出資する鉄鋼商社であるメタルワン、ユアサ商事(8074東証一部)、韓国の総合重工業企業で造船では世界トップクラスのHyundai Heavy Industries(現代重工業)が挙げられ、それぞれ総販売高の10%を超える販売先となっている(図表4)。
商社に販売された先のエンドユーザーはバルブという製品の特性上、多種多様である。なお、20/3期のメタルワン向け売上高が前期比53.9%増と急拡大したのは船舶排ガス用バルブの取り扱いによるものである。
◆ 高い成長が見込まれる船舶向け環境保護装置用バタフライバルブ
船舶排ガス用バルブを始めとする環境保護装置用バルブは海運業界を取り巻く環境規制の強化から、高い成長が見込まれている。
IMO(International Maritime Organization、国際海事機関)による大気汚染防止を目的としたNOx注1規制については、16年1月1日以降の建造船がECA(Emission Control Area=排出規制海域、北米・カナダの沿岸200海里内およびカリブ海海域)を航行する際に3次規制が適用されることになった。3次規制は、1次規制比80%のNOx削減が必要となる。また、21年1月1日以降の建造船の場合、北海・バルト海もECA指定が決定している。
船舶エンジンにSCR(Selective Catalytic Reduction=選択触媒還元法)装置といった排気ガス処理装置を装備するなど、より効果的な大気汚染対策が必要となっている。SCR技術は他のデバイス等を必要とせず単独で80%以上のNOx削減が可能で信頼性・耐久性の面でも陸用で多くの実績があり、機関においても大幅な変更が必要無いことから、大気汚染対策の有効手段として選択される可能性が高い。SCR装置接続のための配管が増えることから、船舶排ガス用バルブの拡大が見込まれている。
SOx注2規制についても20年1月より全海域での船舶の燃料油に含まれるSOx濃度を3.5%以下から、0.5%以下にするよう規制が強化されている。対策としては1)燃料油に含まれる硫黄分を0.5%にする、2)スクラバー(排ガス洗浄化装置)を使用し船上で排ガスを脱硫する、3)LNGを使用するといった選択肢がある。スクラバーによる処理はSOxを含むスクラバー排水が海洋を汚染するリスクもあるが、もともと海水には一定量含まれていることや排水後に瞬時に希釈されることから、海洋生物へ影響を与える可能性は低いとされている。
また、大型船が航行時のバランスを取るために重しとして船内に取り込むバラスト水が利用後他の海域で放出される際に、バラスト水に含まれる海洋生物も放出され、本来その地域に生息していない「外来種」として生態系をかく乱する可能性がある。このため、バラスト水に含まれるプランクトンなどの海洋生物を死滅させる処理装置の搭載も義務付けられた。
同社は船舶用SOxスクラバー用バルブと及びバラスト水処理装置用バルブも供給しており、その需要も増加傾向にある。
◆ 長い歴史を持つバルブ産業
バルブの歴史は古く、古代ローマ時代には、すでに貴族の家に水道のパイプが敷かれ、その出口には青銅製のバルブの一種がついていた。金属製のバルブは2000年以上も前から実用化されていた。
日本バルブ工業会によれば、日本で金属製のバルブが登場したのは薩英戦争のあった文久3年(1863年)に紡績用のボイラが輸入された際に一緒に入ってきたのが最初とされている。
日本製最古のバルブは紡績機についていたバルブを製造することから始まった。1875年に長野県諏訪郡平野村で器械製糸を行う中山社が開業し、操糸機に付属するバルブを製造したのが国産バルブの始まりとされとされる。明治中期には長野県には日本の器械製糸場の約半分が集中していたが中山社がその基礎を築いたとされている。
1877年には京都府に官営の伏水製作所が設立されバルブの製造を開始した。続いて1887年には彦根(滋賀県)でのバルブ製造が始まり、現在もバルブ製造は彦根の地場産業となっている。
日本バルブ工業会の正会員企業は現在114社あり、4つの支部で構成されている。主要工業地帯である東京、東海、近畿の3支部に加え彦根にも支部がある。支部別の社数は東京支部が54社、東海支部が9社、近畿支部が41社、そして同社を含めて彦根支部が10社となっており、バルブ生産発祥の地の一つとしての存在感を感じさせる。
◆ 農具などの製造から、バルブ製造に転換
同社は1962年に株式会社奥村製作所として滋賀県蒲生郡蒲生町(今の東近江市)に設立されたが、1902年に農具の製造・修理業として創業したのがオーケーエムのルーツである。その後、前挽鋸(滋賀県甲賀地方で造られ全国的に普及した製材用鋸)などの刃物の製造をおこなった。
1952年に同社の名誉会長である奥村清一氏(故人)がバルブ専門工場に転換し、大阪の問屋と相手先のブランドで販売する、いわゆる下請けでの供給という条件で、10年間の独占販売契約を結んだ。主に塩田で使用されるバルブを供給していた。
契約が満了した1962年に株式会社奥村製作所として自社ブランドを前面に出してスタートすることになったが、バルブ業界の中では、後発であることから、同業他社との差別化を図るために、独自のバルブの製造に取り組んだ。当時は紙・パルプや化学業界で使用されるバルブが多かったが、精度が求められるビルの空調で使用されるバルブの製造などがその例として挙げられる。現在では日本一の超高層ビルである「あべのハルカス」の空調設備に同社のバルブが採用されるなど、その時々の最先端の高層ビルに同社のバルブが採用されており、設立当社初からの同社の開発姿勢が今も引き継がれている。
このように株式会社として本格的にスタートした当時から、他社が引き受けないような製品に取り組み、技術開発力を磨いてきたことが、現在の業界内でのポジションにつながっている。同社がカスタマイズ製品に力を入れるのは、バルブの地場メーカーとの差別化を図ることで成長してきたという同社のDNA によるものと言える。