吉川レポート(2019年9月)米中対立再燃を受けたシナリオ再検討

吉川レポート(2019年9月)米中対立再燃を受けたシナリオ再検討

【ポイント1】米中対立が再びエスカレート

■米中通商交渉は、20カ国・地域首脳会合(G20大阪サミット)以降、限定的な取引に絞って交渉し、大枠は一旦凍結する局面に入ったのではないかとみられました。しかし、8月に入ると、米トランプ政権は中国に対する制裁関税を追加する方針に転換(8月1日)し、両国が報復を応酬(8月23日)するなど、想定以上にエスカレートすることになりました。これは、支持率の回復を狙って農業分野などで短期的な成果を求めたトランプ大統領と、交渉に時間をかける姿勢の習近平政権との間で思惑のズレが発生したためとみられます。トランプ大統領は圧力によって中国から妥協を引き出せると予想したと思われますが、国民に対する権威の維持を重視する習近平政権は、逆に態度を硬化させました。習近平政権側は、大統領選挙を前にしたトランプ政権の焦燥を過小評価していたのではないかと推測されます。

■報復の応酬直後に、トランプ大統領が交渉再開を表明したことが示すように、米中共に交渉のチャネルを閉じてはいないようです。経済データが示す通り、米中の通商対立が経済・金融に一定のストレスを与え始めており、状況によっては事態を管理する必要性を双方とも感じていると思われます。しかし、今回のように事態がこじれ、特に中国側が交渉相手としてのトランプ大統領に対して、不信感を強めたことは容易に推測がつきます。双方にとって妥協に向けた政治的なハードルは一段と高まっていると考えられます。

■8月1日に発表された米国側の対中制裁関税は、9月1日(新規の約1,000億米ドル相当に15%)に発効されました。米国は、10月1日(既に実施済み2,500億米ドル相当の税率を30%に引き上げ)、12月15日(新規分1,500-2,000億ドルに15%)にも中国に追加関税を課す予定です。中国側の報復分も9月1日に発効され、12月15日にも報復関税が発効される予定です。

【ポイント2】主要国の製造業の景況感底入れは2020年初め頃に後ずれ

■今後は、(1)12月より以前に、追加関税の賦課が停止・延期される、(2)9月1日を皮切りに年内に予定される関税は実施されるが、双方とも交渉のチャネルは閉ざさず、更なる激化は回避される、(3)交渉が事実上決裂し、双方が更なる措置を追加する、という3つのケースが考えられます。前述したように妥協のハードルは高い一方、更なる激化は、米中双方にとって危険なため、(2)のケースをメインシナリオとして考えています。

■世界の実質GDP成長率は、米中が6月までに実施した追加関税により、既に▲0.3~▲0.4%程度の悪影響を受けていると推定されます。今後は、今回のケース(2)を前提に、主要国・地域の金融緩和策や中国の財政措置を考慮しても、世界経済は追加的に▲0.2~▲0.3%押し下げられると考えられます。世界経済の成長率は2019年が+3.1%、2020年が+3.4%と、前月までの見通しから共に0.1%ポイントずつ下方修正しました。また、主要国の製造業の景況感が底入れするタイミングも2020年初め頃へ後ずれするとみています。

 

【ポイント3】今後の注目点は米国の雇用・消費の耐久力

■こうした中でも世界経済は2つの理由から一定の粘り腰を示すとみられます。第1は、米中対立の激化から1年半が経過し、企業の設備投資の更なる抑制余地が限定的と考えられる点です。例えば、日本の工作機械に対する海外からの受注(前年比)は既にITバブル崩壊直後に近い下落率です。第2に、米株式市場が悪材料をかなり織り込んでいると考えられる点です。株式に求められるリスクプレミアム、リスクフリー金利、期待インフレに一定の前提をおき、米株価が反映している米国の成長率を試算すると、今回の米中対立の激化後に、1%台前半まで低下しました。長期金利の低下がクッションとなり、株価の極端な下落はこれまで避けられています。

 

■今後の注目点は、米国の雇用・消費の耐久力です。通商摩擦による製造業の景況感悪化に対し米国のサービス業の雇用が抵抗力を示し、世界経済の約2割に達する米消費が崩れなければ、世界経済の底割れは回避できるとみられます。米国の失業保険請求件数や非製造業の景況感に関する指標が注目されます。

【今後の展開】主要国の政策対応、生産・受注の動きに注目

■米中対立を巡る情勢が当面最大の不透明要因ですが、9-10月は他にも下落リスクとなる政治的要因があります。

■英国の欧州連合(EU)からの離脱(Brexit)期限を10月31日に控えて、Brexitは山場となります。英国のジョンソン首相は離脱条約の再修正を求め、交渉不調の場合は離脱を強行する方針です。引き続き、(1)10月末に「合意なき離脱」、(2)首相に対する不信任案が提出され、与党保守党の一部が造反し可決・総選挙、(3)ジョンソン首相が路線を修正し小幅修正で合意、の3ケースが考えられますが、ジョンソン首相は議会閉会やその他の手段によって反対派の動きを阻止しようとしています。メインケースでは合意なき離脱は回避されるとみていますが、状況は極めて流動的です。合意なき離脱の場合、ユーロ圏経済に▲0.2~▲0.4%、世界経済にも▲0.1~▲0.2%程度の影響を与えると予想されます。通常であれば世界経済は耐えられる度合いですが、米中対立の激化が続いていた場合は、減速感が強まると思われます。

■香港問題の影響は、基本的には香港経済の減速です。ただ、確率は低いものの中国と西側諸国が対立し、中国を巡る貿易・投資フローに影響するリスクもゼロではありません。イラン情勢、イタリア政局も要注意です。

■世界経済の回復や株式などリスク資産の上昇につながる要因として、2点注目しています。第1は、主要国の財政政策です。GDP比で2%近い財政黒字を出しているドイツですが、テクニカル・リセッション(2四半期連続のマイナス成長)のリスクもあり、現連立与党の下でも減税などを検討する可能性が出てきました。主要国での超長期債の発行の検討やわが国の景気対策など、主要国長期債の利回りがゼロ近傍・マイナス圏となる中で財政政策が変化する兆候が増えてきています。もう1つは、IT関連の耐久財消費・投資などは調整し始めてからすでに1年以上経過し、底打ちし始めてもおかしくはない点です。米中対立が少なくとも膠着してきた時、生産・受注の動きが意外と底堅い、という展開になる可能性もあると思われます。

 

(吉川チーフマクロストラテジスト)

(2019年9月6日)

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