人的資本生産性、何を開示するのか~知りたいことはどこに

2022/08/16

・1つの事例を想定してみよう。DXをビジネスとするITサービス企業(T社)が、年率20%の利益成長を続けている。総資産は500億円で、製造業のような設備資産はほとんど持っていない。手元の現預金は200億円と豊富である。

・売上高は1000億円で、営業利益100億円を上げている。減価償却やのれんの償却も少ない。社員は3000人で、人件費は年間200億円ほど発生している。この人件費はP/Lで費用となっており、人的資本はB/Sに載っていない。

・この会社の人的資本は、どのように考えるのか。社員3000人の今の人件費は年間200億円、今後10年は働いてくれるので、人的資産を2000億円と見積もるのか。あるいは、5年は働いてくれるので1000億円と見積もるのか。

・そうすると、B/Sは10年なら総資産が500億円+2000億円で2500億円となる。5年なら500億円+1000億円で1500億円となる。この人的資産を10年で償却、あるいは5年で償却するとして、その分を年間の人件費(200億円)とみなすこともできる。

・この会社のEBITDAは250億円、時価総額は2000億円とすると、EBITDA倍率は8.0倍である。人的資産を含めた総資産(1500~2500億円)から、企業を評価することもできよう。

・企業価値は、将来キャッシュフローの現在価値であるという通常のモデルからみると、人的資産は費用として織り込まれている。これをB/Sに戻して、もっと見える化(可視化)していこうという動きが一段と強まっている。

・この会社は売上高営業利益率10%、ROE20%である。PBR=ROE×PERという関係でみると、純資産300億円なので、PBR 8.0倍=ROE 20%×PER 40倍という水準にある。

・労働生産性はどうか。1人当たり付加価値は、300億円(人件費200億円+営業利益100億円)÷3000人で1000万円/人となる。人件費5年分でみた人的資本資産は1000億円(10年分なら2000億円)に対して、年間300億円の付加価値を生んでいる。

・労働生産性=人的資本付加価値率×労働装備率と分けられるので、(300億円/3000人)=300億円/1000億円(または2000億円)×1000億円(または2000億円)/3000人、つまり1000万円=30%(または15%)×3.33億円(または6.66億円)とみることができる。

・この人的資本生産性(=付加価値額/人的資本)をいかに上げていくかが財務データとして問われる。その前提として、人材の質、人材を活かす仕組み、人材を育てる仕組みがしっかりできているかを知りたい。

・あずさ監査法人の芝坂佳子パートナーは、企業経営における、サステナビリティ情報の開示に当たって、3つのことを強調する。①サステナブル情報の目的をはっきりさせること、②マテリアリティを明確にすること、③定量的に伝えることである。

・ストーリーは大事であるが、それだけでは十分でなく、いかにメトリックス(計量)で捉えられるかが重要である。しかし、ここが難しい。

・桜美林大学の馬越恵美子教授(6月にPCデポの社外取締役に就任)は、社員が誰でも平等に戦力になれること、を強調する。ジェンダーギャップは改善の方向にあるが、まだ大きい。外国人が日本企業に求めることは、同じように戦力になりたいのに、何か差を感じる。そうでない仕組みと扱いを求めている。

・女性も同じではないか。女性取締役が増えると業績が向上するという明確な研究は十分でないが、多様性、異質性、チャンスの平等性が変数として効いてくる可能性は高い。

・その時、構成比率は1つの指標になる。例えば、女性比率が15%以下では、低さが目立つ。25%ではまだマイノリティ(少数)、35%を超えると、女性という区分ではなく、脱属性となって個人の能力が評価できるようになるという。馬越氏のこの指摘は興味深い。

・I&D(インクルージョン&ダイバーシティ)でも、この順序が大事で、チャリティではなく、チャンスであるというマインドセットが重要であると強調する。

・何を開示するのかのプロトタイプがいろいろ出始めている。わが社の人財戦略が、企業価値創造にどのように結び付いているか。ここがはっきりしないと、データを開示してもその意味がつながらない。

・一橋大学の円谷教授は、「未財務情報」としての人材投資に注目する。企業経営者も投資家もB/Sに載る投資に注目するが、B/Sに載らない投資にこそ、財務情報になる前の「未財務情報」として着目すべきであるという。人材投資も最重要項目1つである。

・その会社は、本当になくてはならない価値を生んでいるのか。それは誰が創っているのか。事業ポートフォリオの入れ替えに、人材はどのように関わっているのか。社員は本当に育っているのか。外部からきた人材は、同じ仕組みの中で十分活躍できるのか。もっと若手に任せてもいいのではないか。こうした問いにどう答えるか。

・トップ自ら変革に取り組んでいるか。スキルマトリックスからみて、経営能力が偏っていないか。新卒採用に本当に意味があるのか。経営者は、自社の人財マネジメントを根本から見直す必要がありそうだ。

・投資家やアナリストは、財務数値になる前の人材能力を解明し評価したい。その上で、財務データを分析して、将来を予測することに傾注したい。人件費は費用ではなく、人材投資である。当然その中身をみて、ビジネスモデルがどのように変革していくかに注目する。

・ここを見抜けるように、企業のマネジメントと議論したい。その上で、人的資本生産性に強い会社を選別して、投資を実践したいと思う。

株式会社日本ベル投資研究所
日本ベル投資研究所   株式会社日本ベル投資研究所
日本ベル投資研究所は「リスクマネジメントのできる投資家と企業家の創発」を目指して活動しています。足で稼いだ情報を一工夫して、皆様にお届けします。
本情報は投資家の参考情報の提供を目的として、株式会社日本ベル投資研究所が独自の視点から書いており、投資の推奨、勧誘、助言を与えるものではありません。また、情報の正確性を保証するものでもありません。株式会社日本ベル投資研究所は、利用者が本情報を用いて行う投資判断の一切について責任を負うものではありません。

このページのトップへ